日常生活とファンタジー

 「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」などで遊んだ世代が大人になって、「ファンタジー」は、子供のための「おとぎ話」だけでなく、大人のための「空想物語」としても、認められるようになってきました。「ハリーポッターシリーズ」が子供のものとしてではなく、大人が楽しむに堪えるものとして受け入れられたことが、それを如実に表していると思います。

 とはいえ、「ファンタジー」=「妖精と魔法の世界」という枠組みが、少し強力に出来上がりすぎたのではないかとも、筆者は思うのです。

 ファンタジー(fantasy)は、「空想」、「幻想」、「夢」と訳されます。(大辞林第三版より)

 もともと日本にあった昔ばなしも、空想の世界のものですから、ファンタジーですよね。また、すべてのフィクションは、「想像」の産物であると言えますから、その意味ではフィクションとファンタジーを、ほとんど同一にとらえることも可能ではないかと思います。チョット乱暴かもしれませんが。

 さて、筆者がここで言いたいのは、もっとファンタジーを身近なものに感じていいのではないか、ということです。なにも、魔法が出てこなくてもいい、ドラゴンが飛んでこなくてもいいんです。「いつもと違うタイミングで電車が来た」や「今日は全然赤信号に引っかからなかった」でも、想像の世界への入り口に充分なり得るんです。

 もっともっと、生活の中で出会うちょっとした不思議にファンタジーを見つけ、空想の世界で遊ぶことができれば、日常生活にいつもと違った面白みが生じるのではないでしょうか。